【和歌山市】11(日祝)に開催予定だった、第4回「紀三井寺速駈詣り」は延期となったそうです!!
2021年1月11日(月祝)に開催予定だった、第4回「紀三井寺速駈詣り」は夏季に延期となったそうです。
「紀三井寺速駈詣り(はやがけまいり)」とは…
「紀三井寺速駈詣り」は、県内外からの参加者が結縁坂を逸速く駆けのぼり、その一段に新年を迎えたことへの感謝を重ね、本堂で一年の無事を祈念し、参拝の証である速駈証に御朱印を賜ることで、新たな決意を捧げる御詣りです。
一番速く駆け上がった男女に「福結び速駈王」「福結び速駈姫」との名が贈られます。速駈王と速駈姫は初午(はつうま)や千日詣りなど同寺の年中行事で福を与えに来てくれます。
昨年からは、最高齢の男女に「健脚王」「健脚姫」との名が贈られています。
また、参加者全員に当日限定、当日発行の「御朱印入り速駈証」が進呈されるそうです。
「結縁坂(けちえんざか)」とは…
西国三十三所観音霊場第2番目の札所である紀三井寺。
紀三井寺の楼門から上に、231段の急な石段があり、参詣者泣かせの急坂ですが、この坂は、結縁坂(けちえんざか)と呼ばれ、次のような”いわれ”が伝えられています。
「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。
ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。
困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。
これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。
後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。
紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになりました。」
以来、先人たちが商売繁盛・良縁成就を祈念するたび踏み固められてきました。
また現在では、世界を夢見る若者たちの鍛錬の場としても全国的に知られています。
「速駈詣り」は自分が走るということだけでなく、ふんどし姿や、かぶりものを身に着けて挑戦する参加者や、一段飛ばしで勢いよく駆け上がる人、一歩一歩着実に歩みを進める人など、さまざまな参加者がおられ、観覧する人も応援しながら楽しめるそうですので、夏季開催の際には、ぜひ観覧しにいってみてくださいね♪
紀三井寺の場所はこちらです↓↓↓